忍山合戦(岡山・岡山市)

虎倉城(P可)
1480年(文明12)頃、金川城の支城として松田氏の家臣・伊賀氏が鍋谷城から転入。
1562年(永禄5)、久隆は浦上宗景の勧めで宇喜多直家と姻戚関係となり。
1568年(永禄11)、直家の金川城攻めの内応者となる。
1579年(天正7)、宇喜多氏が織田方に乗り換えると、ご立腹した毛利氏に攻め入られるも死守。
1581年(天正9)、久隆の死は直家の仕業ちゃうかと、子・家久は毛利方へ逃げた。
 
トンネルを通らず横道に入り、虎倉バス停付近に車をとめる。
十三番神社で案内板を見上げ。

その先を左折。
橋を渡らず川に沿って北上らしいけど、民家に入って行きそうで躊躇した。
 
...
忍山城(路駐)
岡剛介が在番するコチラへ、毛利の大軍が押し寄せる。
伊賀家久は勝尾山に布陣。
援軍が来るって聞いて退く気配を見せた毛利軍に、城から討って出たものの、返り討ちに遭い。
城に火をかけられ落城した。

トンネルの上が城跡だとか。
観音院に登山口があるらしい。
...
★日応寺(Pあり) MAP
忍山城の周囲に付城を築かれ、援軍の宇喜多軍が入った。
 
重要文化財の木造毘沙門天立像&不動明王立像、コレかな?
梵鐘&番神堂は、県重要文化財