院庄館(岡山・美作市&津山市)

★杉坂峠関所(P可) MAP
1332年(元弘2)、隠岐に流される後醍醐天皇を奪回しようと、児島高徳は船坂峠で待ち伏せ
けど、護送団御一行様は杉坂峠を行ってて失敗。
急行したけど既に通過した後。
それでも諦めず、院庄館へ向かう。
1333年(元弘2)、大塔宮の呼びかけに応じて討幕の兵を挙げた赤松円心が、播磨と美作の国境に関所を構えたとか。
 
 
どっちからでも行けるけど、佐用側にしか駐車スペースがない。
徒歩2分て文字に、安心して坂道をのぼる。
 

 
蓮花寺3.5kmの登り坂が更に続いてる。
...
院庄館(作楽神社、Pあり)
駐車場横に女院塚。
後鳥羽天皇隠岐配流になった時、道中で奥さんが病気で亡くなり、コチラに埋葬されたとか。

鎌倉時代から室町時代にかけて美作守護職宅・院庄館があった。
東西北に土塁があるらしい。
 
隠岐配流になった後醍醐天皇を奪還しようと企てた児島高徳だったけど、裏をかかれ失敗。
コチラで滞在中のトコに追いつき、忍び込もうとしたけど会えず、庭の桜の幹に十字の詩を書いた。
無念の高徳像と、奥に東大門櫻木跡が。
 
不気味な蓮池と花壇、井戸跡の看板もありーの。
 
作楽神社は明治2年に創建された。
拝殿左側の広場には、当時の本殿を転用した護桜神社があったり。

楽殿&石橋は、大河ドラマ春の波濤」のモデル・川上音二郎明治40年に本殿としてプレゼントしたもの。

江戸時代、森蘭丸の弟・忠政が藩主になり、ココらへんに築城しよっかな〜と物色。
奥さんの兄・名護屋九右衛門と、重臣井戸宇右衛門の意見が合わず、果し合いのケンカをして相討ちに。
道路を挟んで墓を造り、塚として松を植えたけど、通行人に変事が続いたんで道を北に移した。
名護屋氏は出雲の阿国と浮名を流した人で、阿国が郷里に帰る途中に墓参りに寄って涙を流したとか。
南東500mのトコにあって、にらみ合いの松と呼ばれているらしいけど、場所がわからん。