布施天神山城(鳥取県)

布施天神山城(鳥取緑風高校、P可)
1466年(文正1)、因幡山名家へ養子に入った山名勝豊(宗全の子)が、二上山城から布施天神山城へ拠点を移し。
1573年(天正1)に山名豊国が鳥取城へ拠点を移すまで守護所だった。

湖山池の方から、城跡へ遊歩道がある。
舗装道からでも登山口に入れる。
 
こんな小さなモッコリで大丈夫なん?て程度。

まんべんなく見て回れるよう、順路が示されてる。
  
先に井戸を拝見。
 
櫓跡?を通り抜けて、
 
東屋へ。
  
子供がないまま急死した豊治の跡を継いだ誠通。
家臣に反対する勢力があったんで、山名総領家の誠豊に支援してくれたら旗下に属すと頼んで可能となった。
が、信頼関係は瓦解し、1526年(大永6)には但馬から攻め入られ、上野坂表で戦火を交えるに至る。
1528年(大永8)2/14、誠豊死去。
後継の祐豊は対立を静めてたけど、1541年(天文10)6月に再開。
但馬から攻め入られ、岩井表で合戦。
1542年(天文11)頃、尼子晴久と同盟を結び。
1545年(天文14)、出城として鳥取城&新山城を築く。
1548年(天文17)、八上口に出兵して城内が手薄の時、隙を窺ってた但馬山名氏が攻め寄せ、誠通は討死。
後継がBabyちゃんしかなかったため、祐豊は弟・豊定を城主にした。