私部城(鳥取県)

私部城(P市場公民館) MAP

大江広元を祖とする一族・毛利氏が、鎌倉時代頃に地頭として入部。
1479年(文明11)春、因幡一国をほぼ治めるまでに強大になってた毛利貞元は、若桜鬼ヶ城・矢部定利ら国人衆を束ね、因幡守護・山名豊時に対して反乱を起こした。(第1次毛利次郎の乱)
蜂起から半年程度は優位に戦いを進めてたけど。
山名家惣領・政豊が鎮圧に向かい、翌年(文明12)春頃には終息。
因幡毛利氏は永享年間から幕府奉公衆を代々務めた家柄で、貞元も奉公衆を務めてたんで、1487年(長享1)12月、蔭涼軒主・亀泉集証の働きかけで正式赦免。
されると翌年(長享2)、赤松氏支援の下、新守護・山名政実を擁してまた反乱を起こす。(第2次毛利次郎の乱)
も、戦況は山名豊時の優勢で推移。
9/5、矢部氏一族の北川氏の離反もあり、徳丸河原合戦で敗北。
11月には山名豊時の軍勢に攻め込まれ、毛利貞元は私部城で自刃した。
若狭鬼ヶ城に逃れた山名政実、矢部定利も包囲されて自刃。
 
登山道入口の公民館前に案内板。
公民館の駐車場は狭いから、中私部郵便局に車をとめて、1本中の通りを歩く安全策もありーの。