真弓峠(兵庫・神崎郡)

寺前城(最明寺←Pあり) MAP
寺前保育所から坂道を歩く。
駐車場はあるけど、変なカンジに道がついてるように思える。
  
 
最明寺背後の山に赤松円心は、孫・本郷伊豆守を配した。
1351年(正平6)、侵攻してきた山名時氏と大河内合戦が行われ。
1353年(正平8)にも但馬・丹波の山名軍が乱入し、赤松勢と法楽寺において合戦が行われた。
https://blog.goo.ne.jp/rina-go/e/936b95e0884462135e2fea375bfcaba9 但馬南北朝
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★真弓峠古戦場(峠茶屋、Pあり) MAP
1361年(正平16)、また山名軍が侵攻してきたけど、「大山越ノ道(真弓峠)ヲ切塞」ぎ。
翌年も「赤松直頼大山ニ城ヲ構テ(大山城築城)但馬ノ通路ヲ差塞」いで阻止。
  
1441年(嘉吉1)、嘉吉の乱を起こし朝敵となった赤松家。
但馬から攻め込んできた山名追討軍と、赤松義雅は国境の真弓峠で数日に渡る攻防戦の末に敗れ突破される。
1444年(文安1)、播磨奪回を企てる赤松満政と山名軍の合戦が真弓峠で行われ。
翌年も山名持豊が陣所とした七宝寺を、赤松満政が攻撃している。
赤松政則が播磨・備前・美作の旧領を回復すると、1483年(文明15)、山名政豊は播磨奪回をはかって出陣。
浦上則宗福岡城の救援を優先するよう言ったけど、言うことを聞かず但馬からの山名本隊を迎え討つんやって出陣。
赤松政則は粟賀庄を陣所とし、赤松元祐が真弓峠に堀切と塀による阻塞を設けて、雪が深いでんがなまんがなと谷陰に設営してるトコを、12/25未明、山名四天王筆頭・垣屋豊遠に攻められ敗走した。
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中村構居(慈増寺、Pあり) MAP
赤松一族・伊豆祐国の居館。
お寺の奥から山に登ったトコに、詰城・粟賀城があったらしい。