乙子城(岡山・岡山市)

乙子城(Pあり)
宇喜多直家は天神山城・浦上宗景に出仕したてで播州合戦に初陣し手柄をたて、元服して足軽30人と300貫の領地を賜り築城した。
続々と祖父時代の旧臣たちが帰参。
領地は少ないのに人が多く、戸川平介、長船又三郎、岡平内らをはじめ自ら耕作をし、時々近郷へ出て夜盗辻斬りなどし、それでも兵糧が不足すれば直家も絶食して合戦用の米を常備した。
敵の攻めには防御につとめて敢えて手を出さず、後に敵地に兵を出して侵略し、3千貫に加増されたと備前軍紀にある。
 
駐車スペースのある北麓に、宇喜多直家国盗りはじめの地碑が。
 
小さいモッコリだから、すぐに本丸に着く。
  
 
南へ下ってくと墓地に改変されてて、岡崎家奥津城碑があった。
お城って意味じゃないらしい。
  
怪しい横道に入ったら、二の丸だった乙子大明神に出た。
 
南麓の参道筋が大手道だった。
 
東麓の案内板から神社境内に入る道もある。
崖上の五輪塔児島高徳の父・和田範長の墓といわれている。
宇喜多家の祖は、児島高徳の嫡男・高秀説がある。