古代あさご館(兵庫・朝来市)

★古代あさご館(P道の駅但馬のまほろば) MAP
  
 
3世紀後半、大和に地方より優位に立つ王が生まれた。
但馬で育ちつつあった指導者は、手を結んで力をつけ但馬王となる。
  
*南但馬最初の王、若水古墳。
大和は大陸と交易するため、ルート上にあった若水の王と同盟を結んだ。

畿内勢力の傘下に入った王、城ノ山古墳。
次に城ノ山の王と手を結んで、更に同盟を強めた。

*但馬最大の王、池田古墳。
王は1代限りなのか、亡くなると但馬一国を平定する勢いを持ってた池田の王と手を結ぶ。

武装した但馬の王、茶すり山古墳。
次は茶すり山の王と手を結んだ。
柿坪遺跡からは規則正しく配置された大型掘立柱建物がされ、大和中枢地域以外では最大規模の王の館もあったそうな。
茶すり山古墳に葬られた。

*造り出しをもつ前方後円墳、船宮古墳。
後を継いだのは、播磨のルート上を本貫地としてた船宮の王。
前方後円墳を造ることを厳しく制限されていたため、他の王は丸形の墓だけど。
大和の政治的規制がやや弱まってたんで築造が許された。

*最後の王墓たち、岡田古墳群。
大和の王は但馬王の権力を弱めるため、その下の豪族クラスに直接つながりを持ちだす。
小豪族も古墳を造り始める。

大和朝廷の直接支配が始まる。
律令体制になり、但馬国には7つの駅家があったと延喜式にある。
柴遺跡が粟鹿駅家。

7世紀後半、和田山法興寺が建立され、但馬でも仏教信仰が始まる。
 
企画展「きらめく金銀のものがたり」
  
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☆茶すり山古墳(Pあり) MAP
加都北交差点を看板に従って曲がると、工業団地の先の道端に茶すり山古墳がある。
学習館は休みだった。
通り過ぎちゃっても、すぐ先にも1つ登り口がある。
 
5世紀前葉の近畿地方最大規模の円墳で、ヤマト政権と強く結びついた首長のお墓だそう。
 
古墳の斜面はもともと石で覆われていたらしい。