三石城(岡山・備前市)

三石城
1333年(元弘3)に三石保の地頭・伊東大和二郎が、六波羅探題救援に向かう西国の兵を阻むために築城。
1336年(建武3)、足利尊氏が九州に敗走する際、尊氏方の石橋和義や備前守護・松田盛朝らの国人衆が籠城して、後醍醐天皇方の新田義貞軍に抵抗した。
赤松氏が備前守護になると、守護代として浦上則宗が入った。
子・村宗によって築かれた遺構が残ってるらしい。
息子が家督争いを起こし、兄が室津城へ、弟は天神山城へ居城を移したため廃城に。
 
登山口看板を入ってくと、麓のお家の方が栞をくれた。
細い急坂に枯葉がたっぷり積もってて、足元が滑って崖下に落ちそうな恐怖を味わう。
この穴、伏兵が待ち伏せてたのかしら。
  
 
第2見張所まで5分。
更に30分登り、分岐を左に行くと第1見張所。
戻って分岐から15分行くと大手口へ。
虎口石垣が残ってると栞に書いてある。
本丸までは無理だけど、ココまで行きたいなと思ってたけど、早々に諦めた。
 
★三石宿(P三石駅
駅から山陽道の三石宿を歩く。
素敵な耐火煉瓦工場がありーの。
  
 
倶利伽羅峠の戦いで敗れた平家の武将・妹尾兼康は、木曾義仲の手に落ちるも意外とかわいがられる。
忠誠を尽くすフリして進軍してきたけど、ココに来て倉光成氏たちを皆殺しにして逃走。
 

 
☆妹尾兼康居館 MAP
備前備中の2千の兵を集めて福竜寺縄手に砦を築き、今井四郎隊を迎え撃った。
けど敗れ、板倉で父子とも討死。
居館跡の鯉山小学校横に、兼康のものと伝えられる宝篋印塔がある。
 
道は狭いし、吉備津神社吉備津彦神社の参拝客で大渋滞。
テンマヤハピーマートの駐車場が一番無難かな。