坂越浦城(兵庫・赤穂市)1~2

★とうろん台
坂越浦会所の駐車場横に新加入。
神戸海洋気象台から坂越郵便局に入電した情報を、坂越湾を航行する船舶に知らせてた。
 
 
★小倉御前の墓
路地へ入ってみた。
南北朝時代後亀山天皇の皇子・小倉宮が、将軍家との争いのため坂越に隠れ住んでたらしい。
負けたと知って坂越浦に身を投げて亡くなったと看板に書いてある。
 
 
坂越浦城
大避神社参道にステキなお店があるけど、開いてんのかわからん。
  
神社手前を左に曲がると、小学校跡・公園・石垣の上に曲輪がある。
  
 
嘉吉の乱後、播磨を支配した山名宗全が築城。
その後は龍野城・赤松村秀が通い城して坂越を支配した。
江戸時代には赤穂藩の御番所が置かれ、船を監視してた。
神聖なエリアで立入禁止の生島が見える。
秦河勝が眠ってるとか。
  
 
児島高徳公墳墓
船岡園へと階段を上がると墓がある。
熊山城で挙兵し、九州から戻ってくる足利尊氏軍と戦い重傷を負った高徳は、更に上にある妙見寺に預けられた。
  
縮遠居という東屋から坂越湾を眺める。
 
 
茶臼山
山頂に義父・和田範長らの墓所がある。
83騎の手勢を率い那波浦を駆け抜け、円心の追手勢と合戦を重ねた末、力尽きた一族5名は阿弥陀が宿の辻堂で自害した。
宇野重氏は大日寺で葬礼し、故郷に遺骨を帰してあげたと太平記に書かれてる。
1時間近くかかるみたいだから、登るのはやめた。

 
www.google.com