鶴城(兵庫・豊岡市)

鶴城(妙見堂←P船町会館)
越前で新田義貞を攻めてる間に進美寺山城を奪い返された足利方は、桃井盛義を但馬へ。
但馬の南朝本拠である三開山城&進美寺山城は横においといて、周りから攻略する。
南北朝期は、山頂の愛宕神社が祀られてる主郭〜八坂神社まわりの階段式尾根郭にかけてがあり。
室町・戦国期に山名四天王の1人・田結庄氏が居城とし、主郭から北西の尾根上に曲輪を追加。
戦国末期に畝状竪堀が整備されたらしい。
貴布祢神社に居館があった。
1575年(天正3)10/15、毛利派の轟城・垣屋豊続に留守を攻められ落城。
織田派の是義は馳せ帰って野田の田んぼで戦ったけど負け、正福寺で自刃した。(野田合戦)
子孫&残党は鶴が峰城・垣屋光成のトコへ。
 
南から行くと、すぐに駐車ポイントがある。
北からだと、蜘蛛の巣が行く手を阻む貴布祢神社手前に駐車ポイントがあり、プラっと歩いて南側へ行ける。