大坪城(兵庫・養父市)

鎌倉時代の初め、軽部俊家は、長男・俊直に山本村を、次男・俊村に建屋庄を、三男・光家に軽部庄稲津を分け与えた。

 
★大坪城
1356年(正平11)、足利尊氏は但馬の山名時氏派掃討作戦を決行。
春来城、宿南城、八代城、木崎正法寺城と要衝を落とした次は、もともと北党勢力圏内の南但馬にありながら味方につかない諸城をボコっていく。
最初は大坪城。
主郭は戦国期に改修されてるけど、山麓部の居館へ降りる尾根に南北朝期の階段式曲輪跡があるらしい。

 
★稲津城(須賀神社←P稲津中バス停) MAP 
戦国期は川向こうにあった稲津城とセットで使ってたみたい。
大坪城は里城だったよう。