能座城(兵庫・養父市)

うすぎ城を中心に餅耕地城・野谷城・能座城が取り巻いた城塞群がある。
建屋郷は、表米王を祖とする日下部一族に属する太田垣氏の本貫地。
1358年(正平13)、悪党してた光善が山名時氏方掃討作戦に幕府方で参じ、国人領主の一角に仲間入り。
子・通泰が応永の乱(1399)で活躍し、山名四天王の2番手に浮上。
 
★能座城(中尾神社←P公民館) MAP
舗装された急な山道を少し登ると、小さな削平地に神社がある。
中尾神社砦と別称もあり、境内も城だった。
ウスギ城の出城。
 
 
うすぎ城
主郭から3方向に30以上の曲輪を連続して山城が築かれている。
大永年間(1521〜28)に太田垣総領家の俊朝の末弟・久朝が建屋城主に。
1580年(天正8)、竹田城へ引っ越しするまで太田垣氏が居城し、以後は竹田城の支城として家臣・建屋氏が城代となった。