宿南城(兵庫・養父市)

宿南城(←P宿南ふれあい倶楽部)
八木城・八木高吉の子、能直が宿南庄の地頭となる。
 
南北朝が統一され、足利兄弟のケンカも弟・直義の急死で終わったのも束の間。
南党軍が入京して義詮を急襲したことで、また北朝が復活し合戦に。
1354年(正平9)、山名時氏は先遣隊に石塔頼房を派し、再度京都へ攻め込むための兵を宿南城下へ集合させた。
北党勢圏内の養父&朝来へ一歩踏み入れたエリアで、説得で寝返りらない者は武力で応じさせた。
 
畿内南北朝期の山城は連携してたけど、但馬地方のものは国人領主の支配領地ごとに単品で構築されたんで大量にある。
よさげな山の麓に居館を移し、防御性を付加するため裏山の尾根筋に小曲輪を階段状に増やして頂上に主郭を作った。