楽々前城(兵庫・豊岡市)

楽々前城(←P道場区公民館)
高師直が死んで足利兄弟は仲直りしたように見えたけど。
また対立が表面化して身の危険を感じた直義は、斯波高経上杉朝定山名時氏らを従えて北国へ脱出。
武力が駆り出されると南党の動きが活発化しだし、これに対するため養父郡の武士が楽々前城に召集された。
北側にある中の丸は南北朝期の楽々前古城で、北党の有力武士・安田氏義の居城だった。
  
垣屋重教は山名氏に従って但馬入りし、守護代として奈佐亀ヶ崎城を居城とした。
息子が明徳の乱で山名時熙を助けて討死、その息子・隆国が楽々前城を築いて垣屋宗家の居城とした。
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宵田城(鹿島神社←P岩中区公民館)
永享2年(1430)、山名氏の重臣・垣屋隆国が楽々前城の出城として築き、 次男の国重を城主に配した。
天正8年(1580)、羽柴軍の但馬侵攻に敗れ、垣屋峰信は討死。
その後は秀吉政権下の有子山城主の支配化におかれ、 現在残る縄張りに改修された。
 
鹿島神社横から城山公園遊歩道が整備されている。
山頂に縄張り図があるみたい。
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2011.5.12
★隆国寺(200円、Pあり) MAP
 
つばき苑は咲き終わり。
お目当てのぼたん苑は、大雨に花が叩かれてたけど、それでも見応えがあった。
  
  
山名氏の四天王筆頭・垣屋隆国の菩提寺