青谿書院(兵庫・養父市)

★青谿書院(Pあり) MAP
幕末から明治の初めにかけて但馬聖人・池田草庵が開いた漢学塾。
門人たちと起居をともにし、弟子の教育に没頭した。
  
 
日本金融界の基礎を築いた原六郎、日本近代眼科の父・河本金次郎、東大総長を2度つとめた浜尾新、琵琶湖疏水を開いた北垣国道など、全国30ヵ所から673人が入門。
彼らが使ったトイレも見学できる。
トイレの花子さんシーズンの今、開ける勇気を出すのにちょっと時間がかかった。
 
 
文化10年(1813)に養父市八鹿町宿南の農家に生まれた草庵は、10歳で母を、12歳で父を亡くし、広谷村の万福寺に入山して修行を始める。
18歳で寺を出て京都の相馬塾に入門。
4年間、相馬九方より儒学の指導を受け、2年ほどで助教授となり、多くの心友も得る。
23歳から1年、春日潜庵の世話により、梅宮神社の神官宅を借り、子供を教えながら学問を深める。
24歳から5年間、松尾神社の神官宅に移り、子供を教えながら四書五経を読み深める。
28歳から3年間、池田塾をひらき学者デビュー。
30歳のとき帰郷し、青谿書院を開塾。

 
資料館を見学するのは有料みたい。
君子あやうきに近寄らず。