伊達城(兵庫・養父市)

★小佐城(洞泉寺、Pあり) MAP
承久の乱以前は朝倉高清の弟の子・小佐頼重が地頭で小佐城に住んでた。
朝倉氏は院方についたため没収に。
乱後の1221年(承久3)8/25、北条義時が小佐郡地頭職を、為安の譲りにまかせ妻・常陸局に安堵した書状がある。

麓に矢印があり、ビビりながら狭い坂道を登る。
意外と山の上にあった。
帰り、まっすぐ降りないように注意。
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尼妙法が母・常陸局から1/3相続した地頭職を、2人の子に分けっこして譲渡。
津付村は伊達朝綱の子・宗綱→道西へ。
山田村は阿波孫五郎→立石五郎に。
 
☆伊達城(三柱神社←Pスーパーにしがき) MAP
元弘の乱千種忠顕に従ったご褒美に旧領安堵してもらった伊達家。
山田村も自分のやねんて申請して安堵してもらおうとしたけど、立石さんも黙ってないし。
公ではムリだったんで、伊達城を新たに構えて腕力で奪うことに。
八鹿青渓中学校のトコ&三柱神社あたりから、主廓へ2本の階段式尾根郭が伸びている。
 
 
☆一部城(玉島神社、Pあり) MAP 
東麓に居館跡があり、玉島神社から探検できるみたい。
はやしストアーを目印に曲がって、突き当たりにある。
  
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九鹿城(日枝神社←P龍蔵寺)
伊達氏に領地を狙われた山田村では、立石五郎が川向こうの山の様子が丸見えのポジションに九鹿城を構えて対抗。
 
九十九折りの山道の上にあるみたいで、今日はこれくらいにしといたるわと鳥居までで退却。
伊達軍は勇猛で、尼性心の重書も所領も奪われてしまった。