山崎合戦(京都府)

★妙喜庵 
JR山崎駅前にある妙喜庵で、千利休は山崎合戦の勝敗結果を待ってたらしい。
1〜2時間ほどで勝負は見え始め、情報を入手するやいなや宝積寺に秀吉を呼びに行って茶を振舞ったらしい。
後に秀吉が天王山城の築城を始めると、利休も唯一実際に造った茶室として国宝に指定されている待庵を建てたとか。

入口は完全予約制で閉ざされてて、大山崎町歴史資料館(200円)にそっくり復元されたのがあるからソッチに行けと書かれてあった。
2畳の茶室はめちゃ狭かったけどワビってた。
 
山城国府(離宮八幡宮
長岡京平安京の時代は山崎津と呼ばれてたココは、859年(貞観1)、52嵯峨天皇離宮跡地に相応寺が建立され国府としても利用されてたらしい。
石が残ってる。

平安時代末、神官が日本初の製油機を発明して荏胡麻油が生産された。
鎌倉時代にMAX繁盛し、八幡宮を本所として油座を組織して全国の油専売権を独占、関所通行料免除の特権も得てたらしい。
本邦製油発祥の地て碑が立ってる。
  
 
★山崎関所
右にカーブする道を進んでくと関大明神がある。
社殿のとなりには従是山城國の碑があり、兵士が常に警備する交通の要だった。
平安時代頃に廃止されて関戸院が建てられ、藤原道長平清盛も宿舎として利用したらしい。
 
 
アサヒビール大山崎山荘
駅前から踏切を渡って、真っ直ぐ坂道を登ってくとある。
  
 
カフェもあってお茶していきたい素敵さだけど、お庭だけ拝見。
紅葉だけじゃなく、トイレや休憩所も無料で拝借できる。
  
 
★宝積寺
山崎合戦で秀吉が陣所とした宝積寺に、勝利記念に一晩で建立した三重塔・一夜之塔がある。
境内を通り抜けて、天王山・非舗装エリアへ。
 
 
天王山城

宝積寺から非舗装地帯を10分ほど息を切らして登ってくと、青木葉谷広場が。
  
更に登った7合目あたりに、秀吉が味方の士気を高めるために千成瓢箪の軍旗を掲げた松の木(旗立松)と、山崎合戦之地の碑がある。
隣りにある展望台からは山崎合戦古戦場が見渡せる。
秀吉軍は手前天王山麓に、光秀軍は向こうの淀川べりに陣取っていたらしい。
  
鳥居があるけど、まだ酒解神社にあらず。
 
山頂まで山を登ってくと天王山城跡があるけど、もう体力の限界だす。
幕末、公武合体派に京都を追い出された長州藩は大軍を率いて上京。
伏見・長州屋敷に福原越後、嵯峨・天龍寺来島又兵衛、ココには久坂玄瑞が布陣し、三方から御所に向かった。
来島又兵衛は蛤御門のそばで討死、久坂玄瑞は堺町御門周辺で負傷。
禁門の変に敗れ朝敵になって撤退してきた長州藩士たちの殿軍をつとめ、自害した幕末十七烈士の墓があるトコまで行って下山。

後ろ向きに歩いた方がいいくらいの急坂を転げ落ちるように降りるのに15分、幕府軍の追撃で丸焦げになった観音寺に出る。
 
JR山崎駅から右に行くと有料駐車場がある、けど満車。
踏切を渡って右に行くと観音寺があって、付近に路駐できた。

 
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