丸亀城(香川県)

わざわざお散歩に行って、お土産に写真を撮ってくれた第2弾。
高松城はパンフをもらってきてくれた♪
 
×宇多津城
1362年(貞治1)の高屋合戦で戦功をあげた奈良氏に、管領細川頼之は鵜足&那珂を任せた。
1582年(天正10)、土佐を統一した長宗我部元親の侵攻に、守護代・元政は阿波勝瑞城・十河存保のトコへ敗走。
1585年(天正13)、秀吉の四国攻めで長宗我部氏が降伏すると、仙石秀政が讃岐に入る。
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×高松城(200円、P無料)
1587年(天正15)に仙石氏が戸次川の戦いで失脚すると、生駒親正に讃岐が与えられた。
高松城を新築し本拠にする。

瀬戸内海の海水を外堀・中堀・内堀に引き込んだ、三大水城の1つ。
1676年(延宝4)ものの月見櫓・海からの大手門になる水手御門・渡櫓と、太鼓櫓跡に移築された良櫓が現存してる。
1671年(寛文11)、三の丸に藩主館が建てられた時、大手門を廃して旭橋&旭門を造った。
明治時代に老朽化で取り壊され、1917年(大正16)に半分の規模で建てられた披雲閣に、昭和天皇がお泊まりされたことがあるとか。
この時、庭園もゴージャスに造られた。
三の丸から二の丸に向かうトコに、潮の干潮にによる水位調節のための水門が設けられてる。
二の丸から本丸に向かう鞘橋は、江戸中期頃は屋根付の橋だったそう。
天守は生駒時代は3重、松平氏が改築した天守は3重5階で四国最大の規模だった。
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×丸亀城(P無料)
奈良氏は宇多津城を本城にし、亀山に支城を築いた。
その後も支城として使われてたのを一国一城令で破却せなあかんかったけど、生駒氏は木で隠してコッソリ残す。
1643年(寛永20)、瀬戸内の島々にいたキリシタンの蜂起に備えるため、幕府に築城を命じられココを大改修。
お家騒動で山崎家治が讃岐を任され、無嗣改易で京極高和にチェンジ。
1660年(万治3)、海側の搦め手門を大手門に変更して、現在の御三階櫓(現存)を建てた。
 
  
山麓から山頂まで4重に重ねられた石垣は、合わせ技60mで総高で日本一。
単体で日本一の大阪城をマネっこした扇の勾配。

内堀の周囲に侍屋敷が建ち並び、外堀が方形に巡らされてたらしい。
明治時代に大半が壊され、丸亀歩兵第12連隊が置かれたり。
裁判所や学校が建てられた。

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×ボートレースまるがめ
天守からの眺め。
右手、オレンジの光の列は瀬戸大橋。

左手、白い光の塊は競艇場
ナイター営業してるみたい。


瀬戸大橋は、橋桁を塔から斜めに張ったケーブルで吊って支える斜張橋

吊り橋は、塔の間に渡したケーブルから垂らしたハンガーロープで橋桁を吊ってるらしい。