安海寺(兵庫・多可町)

×仏教伝来の地(金屋河川敷公園) MAP
大陸からの船が難波津から大和川をさかのぼって到着する船着場があり、近くに欽明天皇磯城嶋金刺宮があった。
552年(欽明天皇13)、百済聖明王使節がココに上陸し、釈迦仏の金銅像や経典を献上したことから碑がある。
遣隋使の小野妹子が帰国したのもココだとか。
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×向原の家(向原寺、200円) MAP
蘇我稲目が仏像を請い受け、自宅に祀った。
神道派の物部尾輿らは、疫病が流行ると「そんなもん拝んでるからじゃい」と排仏活動を行なう。
ココを焼き、仏像を難波の堀江に投げ込んだ。
後に推古天皇が豊浦宮を造営。
小墾田宮へ遷都した際に土地を返してもらった蘇我馬子は、本格的な寺院2つ目・豊浦寺を建立。
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★安海寺(P可) MAP
馬子は高句麗から仏教伝来にきてた恵便法師を見つけて師とした。
 
廃仏活動の最中、恵便への迫害も厳しく、やむなく還俗して身を隠した。
そして村の娘との間に息子を授かる。(住職説)
弟子・恵聡に託して祖国へ逃がすも、これがバレて稚児岩の洞窟に幽閉されてしまう。
子の無事を祈りながら彫ったとされる山石の地蔵菩薩が残ってるらしい。
  
物部氏蘇我氏に滅ぼされると、恵便は馬子の師匠に復帰。
595年(推古天皇3)、息子・恵慈が修行して戻って、聖徳太子の師になったとか。