大物浦(兵庫・尼崎市)1~4

平家を滅ぼした後は源氏の内紛。
武家がテッペンを獲る意気込みの頼朝は、朝廷の子分になっちゃった義経をぶっ殺すことに。
伊予守だった義経は四国へ逃げようと大物浦へ。
 
★辰巳八幡神社(路駐)
大物橋のたもとにあった静なごりの碑。
弁慶に説得され別れを決意した静御前が、愛しい人の無事を祈って舞ったとか。
  
入口左に辰巳渡仇討址碑もある。
伊予の藤堂氏の家臣・高畑さんの妻が渡し場で亡き夫の仇に会い、家来に助っ人してもらって討ち取った。
んで、その側で自刃したとか。
 
☆大物橋&着船橋
細長く続く公園を歩いてると、途切れ目に碑がある。
  
 
☆大物城(大物主神社)
船出したものの荒波で遭難して出戻り。
神社近くに身を潜めてたってんで、義経弁慶隠家跡碑がある。
 
大内義興が周防へ帰国したため、細川高国は1519年(永正16)、細川澄元&三好之長に備えるポイントを大物浦に造った。
1526年(大永6)、弟の讒言を信じて香西元盛を誅殺したら、丹波勢に挙兵される。
砦を戦国城郭として整えた。
1531年(享禄4)、細川晴元との戦いの最中、赤松晴政の裏切りに遭う。
大物城へ敗走したものの、既に赤松勢に占拠されてて入城できず、町家に隠れてるトコを見つかって自害させられた。