上宮津城(京都府)

宮津城(数馬神社←P喜多下公民館) MAP
一色氏の重臣・小倉氏の居城。
宮津簡易郵便局前に、公民館がある。
 
.
☆盛林寺(P可)
1577年(天正5)、大久保城近くに小倉氏の菩提寺として創建され。
1685年(貞亨2)にココへ移転された。

  
1582年(天正10)6/2、本能寺の変が起こる。
山崎の合戦で敗れ、坂本城へ逃れる途中に小栗栖で殺された明智光秀の首は、細川家へ勲章として贈られたらしい。
境内裏に娘のガラシャによって建立された首塚があり、供養塔には天正10年6月13日篠鉄光秀居士と刻まれている。
  
  
.
×隠棲地味土野(Pあり)
本能寺の変に、ガラシャは味土野(女城)に幽閉された。
谷を挟んだ向かいの丘陵に男城があり、付き従った家来達が居城したとか。
2年後の1584年(天正12)春、秀吉の取り成しで幽閉を解かれ、宮津に戻り。
大阪城に新造された細川屋敷に移り住んだ。

離合困難・ガードレールなしの自然林道で、対向車もあるみたい。
ピンクB地点に駐車して→5kmを1時間半ほどかけて歩くコースも、パンフ「細川ガラシャ物語」に掲載されてる。