高見山城(兵庫・丹波市)

玉巻城、久下城(長慶院、Pあり) MAP
一の谷の合戦で武功を挙げ、丹波にも所領を得た久下氏。
承久の乱後、丹波流罪者の護送の任にあたり、そのまま武蔵国へは帰らず栗作郷金屋に留まった。
足利尊氏に従い、逃れてきた足利義詮を石龕寺に匿ったりしーの。
丹波守護代を任され、高見山城塞群を統治する。
塞群から東南に伸びた尾根先に久下城があり、南西山麓に居館があった。
 
1526年(大永6)、C細川高国が香西元盛を殺害。
兄・波多野元清はB'細川晴元を巻き込んで復讐の反逆。
久下氏や内藤氏はCについて、岩屋増福寺に陣取って波多野氏についた赤井忠家を攻撃した。
1531年(享禄4)、Cが尼崎で自害。(大物くずれ)
久下氏は丹波篠山市へ退去。
玉巻の館は燃やされた。
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高見山城(丹波悠遊の森、Pあり) MAP
南北朝期、丹波守護・仁木頼章が高見山に築城。
1354年(正平9)、伯耆から足利冬氏を連れて京へ進軍してきた山名時氏は、但馬で先遣隊と合流し高見城下へさしかかった。
太平記には、大軍を前にしてビビってもーて、仁木頼章は一矢も放たず見過ごしたと書かれている。
戦国時代は黒井城の支城。
 
麓はキャンプ場になってて、森林生態学習舎まで車で行ける。
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✕東鴨野城
北麓の城下町の備えに鴨野城を築き、居館も構えた。
明智光秀判物にある「高見山下町人中」とは、この周辺に町屋が形成されてたのを指してる。
城主は赤井氏。