湊川合戦(兵庫・神戸市)

足利尊氏本陣(宝満寺、Pあり) MAP
1336年(建武3)の湊川合戦で、足利尊氏が本陣とした。
山門の左手に駐車場があり、そこからお邪魔する。

1180年(治承4)、平清盛が福原内裏を造営の際、福原京の守護寺としてこの地に移した。
1184年(寿永3)、一の谷合戦の兵火に遭い。
1579年(天正7)、荒木村重の焼き討ちに。
1945年(昭和20)、大空襲に遭い。
1995年(平成7)、阪神淡路大震災でも伽藍のすべてが損傷。
 
山門脇に、尼崎藩主2青山幸利の慰霊碑&家老・天野八郎兵衛の顕彰碑がある。
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楠木正成殉教地(湊川神社、P400円/1時間〜) MAP
水軍戦略で新田義貞をうまく三宮へ追っ払った足利尊氏は、長田港から悠々上陸して宝満寺に本営を置いた。
楠木正成は会下山からそれを近くに見下ろして、最後の激突と尊氏の首を獲りに向かう。
が、直義軍に阻まれ、あと一歩のところで全ては終わった。
6時間もの激闘の末わずかに残った73騎とともに、戦火を逃げて無人になった小さな部落の小寺に入って、弟・正季と刺し違えて自刃。
湊川神社の境内奥に、その殉節地がある。
社務所に言うと入れるらしい。

社殿には、主神の正成、夫人、息子・正行&弟・正季以下一族十六柱と菊池武吉卿がお祀りされてる。
菊池武吉は会下山に派遣された客将で、別に最後まで一緒に戦わなくてもよかったのに、志を一緒にしたとか。
天井画も素敵。
  
正門右側に御墓所
正成を深く尊敬していた水戸黄門が、助さんに碑石を建てに行かせたものらしい。
表面の「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字を自ら書き、裏面には明の遺臣朱舜水の作った賛文を岡村元春に書かせて刻ませた。
 
それを見守るように立つ黄門さま。

正門左側にある宝物殿(300円)には、正成着用と伝えられる「段威腹巻」や、正成真筆と伝えられる「法華経奥書」、楠木正成像や絵画など収蔵。