両宮山城(岡山・赤磐市)

両宮山城(両宮古墳、P稚媛の里
1561年(永録4)、宇喜多直家に龍ノ口城を落とされ、出城のコチラもやられちゃった。
5世紀後半に築造された岡山県内NO.3の規模の前方後円墳を利用して築城された。
大和朝廷に並ぶほどの勢力を誇ってた豪族・吉備上道臣田狭の墓じゃないかと伝えられている。
463年(雄略天皇7)、留守中に超美人の妻を21雄略天皇に取られ、新羅と結んで仕返ししようと画策。
息子は天皇に殺ってこいと命じられるも、父に加勢しようとして妻に殺された。
雄略天皇崩御すると、田狭の元嫁は天皇との子・星川皇子を後継にしようと、田狭との子・兄君らと画策し皇太子と争ったけど負けた。
 
国分寺から稚媛の里に戻る途中に、中堤に登るトコがある。
右側から中堤に登るトコは、勝手に入り込んでいいエリアなのかよくわからない。

産直売所の駐車場に碑がある。
 
通り過ぎて少し先の駐車場に案内板が。

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茶臼山
先の信号を左折して歩いてくと墳丘に登る道があるハズだけどわからず。
通り過ぎちゃうと丸いモッコリが出現。
宮古墳に従属して同時期に築かれたもの。

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備前国分寺
741年(天平13)、聖武天皇の命令により全国60余国ごとに建てられた寺院。
朝廷では貴族の対立が激しくなり、民衆は災害や疫病の流行に苦しい思いをしていた。
このような危機を仏教の力で鎮め護ろうとした。
 
パンフが用意されてた。