閑谷学校(岡山・備前市)1~2

池田光政岡山城下にあった池田輝興の長男・政種の旧邸を修復して、1666年(寛文6)11/28石山仮学館を開校。
他国からの入学者もあったり手狭になったので、新築することに。
1669年(寛文9)7/25、池田家の祈祷寺だったけど廃寺になってた境内&侍屋敷17軒を造成して閑谷学校を開校した。
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学校手前の、ナビに石門て表示されてるトコ。
1697年(元禄10)に立てられた校門が、埋め立てられて先っちょしか見えなくなってる。
 
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駐車場に車をとめて無料ゾーンを散策。
中国上代の諸候の学校・頖宮の制に擬してつくられた泮池。
半円形がスタンダードだけど、ココは長方形。
国の重要文化財の石橋を渡れちゃう。
 
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梅林は全然咲いてなくて、見頃はまだまだ先。
  
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学校が現在形に完成した1702年(元禄15)、津田永忠が学校が守護されるよう願いを込めて400本の藪椿を植えた。
椿も見頃はまだ。
  
椿のトンネルを抜けると、池田光政の髪・髭・爪・歯を収めた供養塚がある。
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青少年教育センター前を通りすぎて→左へ川沿いを歩くと→池田光政の命を受けて閑谷学校を創建した津田永忠宅跡が。
敷地から推察して豪邸。
光政没後は綱政に郡代として登用され、後楽園・曹源寺・吉備津彦神社の造営や、牛窓・大多府港の改修工事他、土木事業を手掛けた。
 
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その先に黄葉亭。
1813年(文化10)、武元君立&有吉行蔵両教授によって建てられた休憩所。
来訪した頼山陽や管茶山もここで茶を楽しみ酒を汲み交わした。
 
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まっすぐ進むとキャンプ場へ。
黄葉亭の方へ曲がってくと紅葉の森がある。