置塩城(兵庫・姫路合併)

★置塩館(路駐) MAP
山名勢を但馬に追い返した赤松政則坂本城から本拠を移した。
近くに1511年(永正8)に近江から亡命してきた幼少の足利義晴の御所も造営され、冷泉為広も毎年のように訪れて歌会が頻繁に催されたとか。
裏山に小規模な詰城があった。
尼子氏が攻め来たんで置塩城を築いたらしい。
 
不気味な道を進むと松安寺があるの?
境内に赤松晴政夫婦、息子の義祐の墓石があるとか。
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置塩城

2012年GWに来た時は、落ち葉てんこもりで倒木が道を塞いでたんで断念。
 
置塩城まつりに登城企画があったんで、お手入れされた道を感謝しながら登らせてもらう。
茶室跡まで18丁の道のり、40分。
 
9丁に展望の開けた休憩ポイントが。
 
12丁に昭和初期に作られた炭焼窯跡があった。
 
楽踊楽座のおふたりに出会いテンションあがったりしーの。

18丁手前に城郭の南&南西面の足元を見張る第1の防塁、南曲輪群への分岐があった。
ヘトヘトだから上から覗くのみ。
 
茶の湯を楽しんだ茶室の跡から平たい瓦がたくさん出土したらしい。

案内MAPから左の道を下りてくと大手門跡へ。
ちかん注意の看板があったトコに着くのかな?
南西曲輪群の一番下の曲輪に、最大の石を積み上げた大石垣があるらしいけど、体力に余裕なしパス。
迎賓館や枯山水式庭園があった三の丸へ進む。
 
15世紀後半から極めて限定された地域の山城に石垣が導入された。
信濃…虚空蔵山城
美濃…岐阜城、伊木山城
近江…鎌刃城、水茎岡山城
播磨…感状山城・置塩城
北部九州…高祖城など
曲輪拡張に伴う土留めのための石垣で、上に建築物を建てることを想定していないレベル。
ほぼ垂直に1〜4m程度に積み上げられ、隅角も持たず直線とならないなどの特徴がある。

城の中央に位置する右側に城主の館があった二の丸があり、間に深い堀切が。
  
台所跡を通り過ぎ、側近の詰所が立ち並んでた二の丸北曲輪群を素通りし、本丸目指してまた登りが始まる。
 
トータル50分で本丸跡に到着。
毛利氏との戦いが本格化する天正年間(1573〜92)に大規模な改修がなされた様子が残ってるみたい。
  
 
脚力の限界がきてたようで、何度も足をスベらせて尻餅つきながら下山。
疲れてる暇なくイベントステージへ武者行列の写真を撮りに行く。
  
続いて楽踊楽座のステージ。
 
よさこいも楽しませてもらった。
 
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☆櫃蔵神社(Pあり)
播磨守護・赤松晴政が浦上氏対策に要害を築いたらしい。
三木合戦では秀吉についたんで落城はしなかったけど、姫路城への権力集中策のため破却命令が出され、則房は阿波国・加島に加増転勤。
大手門は姫路城のとの門に活用されてる。
お城の守護神が3ヶ所に分祀されたうちの1つが、登山口のすぐそばに。