葛井寺(大阪府)

葛井寺(←Pトイザらス 30分無料〜) MAP
725年(神亀2)、聖武天皇の勅願により、渡来系氏族の葛井氏が邸宅跡に建立。
見事に咲き誇るだろう藤棚がある。

聖武天皇から貰った紫雲石燈籠のレプリカ。
ホンモノは裏庭に匿っている。

1347年(正平2)9月、楠木正行は戦勝祈願にお経と刀と旗を奉納して布陣。
京から進軍してきた北朝細川顕氏軍が誉田八幡宮で休憩してるトコに襲いかかって大勝した。(藤井寺合戦)
非理法権天の旗を掛けたという松がある。
1493年(明応2)、応仁の乱後も家督争いを続けてた畠山家の政長側について、将軍・足利義材自ら出陣して布陣し、誉田城の義豊を攻めた。
その隙に京では義材を廃するクーデター(明応の政変)が起こる。

西門は1601年(慶長6)に豊臣秀頼がプレゼントしたもの。
桃山様式をよく伝える建物として国の重要文化財に指定されている。

南門に阿吽の仁王像、足もカッチョイイ。
 
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ゆめぷらざ 
葛井寺西門を出て商店街を駅へ向かって歩くと、観光案内所があった。
  
 
まなりくんてゆるキャラを推してるみたい。
井真成は707年、19歳で遣唐使として阿部仲麻呂らと唐に渡り、36歳で亡くなった。
遺骨は異国にあるけど魂は故郷に帰りたいと墓誌に書いてあるとか。