中道子山城(兵庫・加古川市)

中道子山城(Pあり)
古代山岳寺院の中道寺を利用して、赤松円心の4男・氏範が築城。
嘉吉の乱で惣領家と運命を同じくしたけど、お家再興でカンバック。
1531年(享禄4)10月、大物くずれで村宗を討たれた浦上残党が蜂起。
英賀館を襲われた赤松晴政は、櫛橋氏とともに中道寺城へ逃れ、荒井村から梶原氏に船を出させて、枝吉城・明石氏を頼った。
1532年(享禄5)2月、幼少の政宗に代わって浦上家を差配してた村宗の弟・国秀、赤松村秀、宇野村頼は晴政討伐の許可を将軍に申請し、12月にお墨付きをもらう。
4月、加古川で合戦。
赤松氏は西へと徐々に勢力を盛り返し、1534年(天文3)8月、朝日山で激戦。
膠着状態になってるトコへ、1537年(天文6)12月、尼子晴久が播磨へ侵攻してきた。
これを契機として浦上氏が赤松氏に従う形で和を結ぶ。
  
43号線の志方東小学校東交差点に城山公園の看板があるので曲がり、登山口の看板を見逃さないよう左手に注意して進む。
駐車場から5分ほど歩くと曲輪があり、意気揚々と進むと山頂が見えた。
引き返すか悩む…。
 
更に10分ほど行くと看板が出てる。
旧道はロープがぶら下がってて、道とはいえない険しさ。
新道は舗装されてて歩きやすく、傾斜もキツくないので、1kmの文字にひるまず選択。
  
10分ほど行くと階段出現。
分岐から600mがあっという間だったんで、あと400mくらいと思ったけど、段差があるからキツイ。
  
 
更に10分登ると大手門に着いた。

風のこみちや正門見晴台へ続く道があるけど、寄り道する気力はナッシングー。(←エドはるみ)
 
すぐに櫓台跡、そして二の丸があり、神様〜てカンジ。(←桑原和男ね)
  
二手に別れてる道を真っすぐ行くと、井戸がありまっせの看板。
 
続いて本丸!
40分、よく頑張ったね私。
  
 
天上見晴台や三の丸へ続く道などあるけど、日が沈みかけててゆっくりしてる場合じゃないし、どこがどうとか感動する体力もないので、せっかくだけどとっとと下りる。

 
街灯を設置してくれてるけど、光が届かないトコのが多くて危ない。
もちょっと早めに来ておくんだった。

ふくらはぎ&腕が筋肉痛、両ヒザはガタガタで満身創痍。
さすがに贅肉もギャフンといっただろうと体重計に乗るも、変化なし。