魚住古城(兵庫・明石市&加古川市)

★魚住古城(住吉神社、Pあり) MAP
南北朝時代に姫路城・小寺頼季の三男が住吉神社付近に築城。
摂津神南の合戦(足利尊氏&義詮vs山名時氏)で、足利軍で参戦し亡くなった。
7代目の頼治は三木合戦が始まると同時に、魚住古城を廃して三木城に入った。
  
神社&公園は小高くなってて道が狭い。
山陽魚住駅東交差点を南に入り、突き当りを左周りで駐車場へ向かう。
  
 
初代明石城主がプレゼントした能舞台がある。
山門・楼門・能舞台・拝殿・本殿が一直線に並ぶ、東播磨地方の典型的様式。
ちょこちょこイベントで使われてるみたい。
  
あじさいと藤が楽しめる。
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☆魚住城(←Pグラウンド) MAP
兵糧攻め中の三木城へ、秀吉の包囲網をなんとか突破すべく、天正7年9月初め、毛利氏は食糧を満載した軍船を魚住の浦へ出した。
食糧運搬に交通の便が悪かったから、魚住頼治が西嶋の丘に柵を巡らした城を新造。
379号線を北上して浜西(明石市魚住町)&龍ヶ岡(神戸市西区岩岡町)の砦を通り、148号線→514号線→513号線と北上、美嚢川を超えて平田へ。

グラウンド北の住宅駐車場端に、城跡から出てきた一石五輪がある。
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安田構居(十五社神社、路駐)
富士バッティングセンターの北隣りにある。
 
魚住氏は代々魚住城に居城してたけど、赤松晴政の頃に引っ越し。
三木合戦の時、毛利軍からの兵糧補給基地とするため魚住城を改築したけど、負けたんでどっちも廃城となった。