端谷城(兵庫・神戸市)

端谷城(満福寺←P寺谷公会堂)
鎌倉時代中頃に、別所氏の祖・敦光の三男・持則の流れを汲む、赤松一族の衣笠法眼が櫨谷庄を支配。
嘉吉の乱では政重が、応仁の乱では祐盛が軍功をあげ、赤松政則から衣笠姓を与えられた。
赤松義村浦上村宗配下の岩屋城・中村氏攻めで惨敗し、1520年(永正17)10/6、小寺則職父子が自害。
村宗はソッコーで室津に攻め上がりボコボコに。
11/9、義村はまた三石城攻めへ向かうも落せず、浦上氏が降参したようにみせかけ退却した。
その間に洞松院尼&Babyちゃんは、義村を見捨てて村宗のもとへ。
12/26、義村は預かってた足利義晴を連れて置塩城を出、コチラに避難。
1521年(永正18)1月、御着まで進軍。
龍野赤松氏のもとで郡代を務めてた太田城・広岡氏が浦上方へ寝返り、2/11夜、義村は玉泉寺(加東市)へ逃げた。
1578年(天正6)、神吉城&志方城を落とした織田軍は、三木城に食糧や武器を入れる重要な拠点基地だった端谷城攻略へ。
衣笠範景自ら先陣を切って全ての城兵が打って出たけど、圧倒的な軍勢の前にことごとく討死して落城。
 
大手道を通り、三の丸だった満福寺へ。

参道入口に城跡碑、境内に衣笠範景の供養碑。
  
 
お寺の裏山を行くと、すぐに深い堀切が。
更に登ってくと、広い二の丸には西の壇も付属されてて。
頂上に物見櫓を持つ本丸があり、北側に巨大な堀切があるそう。
  
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福谷城(秋葉神社←Pかりばプラザ) MAP
トンネルそばの信号を渡ると看板&駐車場があって、散歩道が続いてる。
うぐいすの声に励まされながら、咲き始めたばかりの桜並木の急坂を行くと境内。
  
 
端谷城の出城で、尾根上に曲輪が残ってるみたい。
境内裏に登山道がある。