2013-03-10 飾磨砲台(兵庫・姫路市) ★飾磨の湛保 水深が浅く大型船が入港できないため、飾磨船という小船で大阪などへ物資を輸送していた。 1846年(弘化3)、姫路藩主・酒井忠実の許可を得て、肥料問屋・藤田祐右衛門が中心となり、丸亀港を参考にした築港工事を行った。 北前船や西国船の寄港や、年貢米の運搬などで賑わう。 明治になると生野銀山の積出港として活躍。 ★飾磨砲台 海神社前から私有地ぽい通路を抜けたトコに、4門の大砲が設置されてたらしい。 姫路港湾合同庁舎の一画。 勝海舟が摂津に派遣されて砲台を造ったのと同時期、姫路藩でも飾磨・福泊・荒井・古宮に砲台を配置した。 南部は1mほどの土塁が半円を描くように巡らされてたらしい。★播但線・飾磨港駅(姫路みなとドーム、Pあり) MAP