飾磨砲台(兵庫・姫路市)

★飾磨の湛保
水深が浅く大型船が入港できないため、飾磨船という小船で大阪などへ物資を輸送していた。
1846年(弘化3)、姫路藩主・酒井忠実の許可を得て、肥料問屋・藤田祐右衛門が中心となり、丸亀港を参考にした築港工事を行った。
北前船や西国船の寄港や、年貢米の運搬などで賑わう。
明治になると生野銀山の積出港として活躍。

★飾磨砲台
海神社前から私有地ぽい通路を抜けたトコに、4門の大砲が設置されてたらしい。
姫路港湾合同庁舎の一画。
  
勝海舟が摂津に派遣されて砲台を造ったのと同時期、姫路藩でも飾磨・福泊・荒井・古宮に砲台を配置した。
南部は1mほどの土塁が半円を描くように巡らされてたらしい。

播但線飾磨港駅姫路みなとドーム、Pあり) MAP