新宮陣屋(兵庫・たつの市)

新宮陣屋(←P新宮文化センター)
新宮藩の陣屋跡には子孫の方がお住まい。
 
池田重利は、本願寺法主顕如の執事を務めた下間頼龍の子。
教如と争って出奔し、母の実家で叔父の姫路藩池田輝政を頼る。
一族として3千石で召し抱えられ、池田姓に改名。
1610年(慶長15)、父の遺領を継いだ8歳の政長の後見として尼崎城に入る。
大坂夏の陣で戦功を挙げ、弟の子・建部政長と共に摂津に所領をもらい大名に。
1617年(元和3)に池田光政鳥取藩へ転封になった際、分割された播磨揖東郡鵤荘に所領を移され、鵤藩が立藩した。
因縁から東本願寺派が弾圧されてきたけど、新姫路藩主・本多忠政は優遇し、池田家勢力の赤穂藩・鵤藩・林田藩・平福藩・山崎藩と緊張関係に。
1626年(寛永3)、本多分家の龍野藩とモメて陣屋を新宮に移した。
1670年(寛文10)、4代目邦照が13歳で死去。
廃藩となったけど、池田一族の援護射撃で弟・重教が改めて3千石を与えられ旗本寄合として家名を残す。