小浜城(兵庫・宝塚市)

小浜宿(P宝塚市立スポーツセンター 無料/1時間〜)
織田信長の弾圧に備えた一向宗門徒の拠点で、集落一帯が小浜城とも呼ばれた。
近辺は有岡城攻めの巻き沿いをくって丸焦げになったのに、向城として織田軍の武将が入城したと証拠資料が。
江戸時代は宿場町としてブイブイいわす。

  
車を止めてまっすぐ歩いてくと、3つある虎口のうち南門跡(西宮街道へ)に。
  
 
更に直進すると皇大神社があるので右折。

 
豊臣秀次の側室になったの娘・小浜の局は、秀吉に実子ができて邪魔になったため殺され、亳摂寺も焼き払われた。
  
 
秀吉も有馬温泉への道中、亳摂寺に宿泊。
山中邸にある玉の井戸の水で千利休が茶を献じたらしい。
尼子氏再興を悲願として上月城が落城後も最後まで生き抜こうとした山中鹿之介の末裔は、清酒を発明して巨富を成し三和銀行の元祖・鴻池両替店を開く。
山中邸の土蔵や敷地の一部を拝借してる小浜宿資料館(無料)があるけど、16:00までで見学は間に合わず。
  
向かいにある井川邸は江戸初期から栄えた菊仁。
軒下につるされた杉玉が造酒屋の看板。
 
高札をいっぱい揚げてムードを醸し出てみてる代官所跡。

 
突き当たりを右へ左へ歩くとすぐ東門跡(京伏見街道へ)に。
石垣は外濠を隈取りするように石積みを残して民家の間を延びているって調べて行ったのに、資料がゴチャゴチャになって見逃した。

 
あみだくじ方式で北門を目指してる途中、とんかち館に遭遇。
イマイチ。

 
橋の左にある坂=いわし坂の下で、武庫浦で獲れたいわしを荷揚げしてたらしい。
   
次は北門跡(有馬街道へ)だ〜と階段をあがってくと、目の前にあった。
 
国府橋を渡ると、米谷村飯野藩の庄屋を務めていた旧和田家住宅→歴史民族資料館(無料)があるらしい。
 
渡らず戻ると南門があって、その先に大へん古い道標が。

 
看板どおり右に行くと公園ぽいとこが。
首地蔵ってココじゃね?と怪しみつつ更に歩くと、小浜出身のお相撲さん・谷風岩五郎のお墓がある。
 
急な階段をのぼって、お地蔵さん拝見。
いい顔してます。
 
 
戻らずまっすぐ行くと国道に出る。