鞆の浦(広島県)

高速をおりて下道40分。
道が細くなるので、手前にある大きな駐車場に車をとめる。(150円/1時間〜)
 
★観光情報センター 
観光MAP入手。
鞆鉄道ミニ資料館も併設されてる。
 
 
★竜馬宿泊跡(200円)
鞆の浦沖で紀州藩御用船と衝突して、坂本龍馬たち海援隊が乗ってたいろは丸は沈没。
枡屋清右衛門んちの隠し部屋に寝泊まりし、暗殺の危機もかえりみず談判にのぞんだとか。

 
★入江保命酒本店資料館
お昼休み中だった。

 
★鞆の津の商家
江戸末期のもの。
  
 
 
いろは MAP
宿屋もしてた商家・魚屋萬蔵宅で、竜馬は紀州藩相手に決死の賠償交渉。
現在は御舟宿いろはになってて、1Fはカフェ、2Fは客室。
宮崎駿監督が崖の上のポニョの構想を練るために滞在してたらしい。
  
さくらんぼ紅茶&ケーキセット(900円)をいただいた。
 
大可島城(圓福寺) 
城跡からの景色に感動して頼山陽の叔父が「侠明楼」って命名し、鞆出身の森下仁丹が碑を建立。
 
圓福寺付近一帯が大可島城。
1349年(貞和5)4月、足利直義は養子・直冬を中国探題として、備後の鞆に遣わした。
戦国時代は村上水軍鞆の浦海上権を握って拠点にしてた。
関ケ原以後に福島正則が埋め立てて島は陸続きに。
  
1342年、後村上天皇は西国での勢力を取り戻すべく、新田義貞の弟・脇屋義助を伊予に派遣。
義助が国分寺で病没と知った北朝方の細川頼春は、阿波・讃岐の兵を率いて伊予に侵攻して勝利。
船で救援に向かってた伊予衆も負け、鞆に流れ着いて備後国南朝勢力と築いた拠点が大可島城らしい。
北朝方勢力は小松寺に陣を構えて大可島城と対峙。
篭城してた伊予衆は世田山城の危機に帰国してしまい、わずかに残った備後の南朝方はボコボコにされて全滅。
なんて事情を知ると感慨深い桑原一族のお墓。

 
★太田家住宅・鞆七卿落遺跡(400円)
尊皇攘夷を主張する三条実美ら7人の公家が、公武合体派に追われ長州に下る途中、寄港して訪問。
映画にちょくちょく出てる建物だとか。
 
 
★常夜灯
江戸時代に築かれた船着場の石段のことを雁木っていうみたい。
潮の満ち引きに関係なく船荷の積み下ろしができるよう石階段状になっている。
灯籠燈と呼ばれる江戸時代の灯台は、海中の基礎の上から宝珠まで11mの高さがあって、港の常夜灯としては日本一だとか。
 
 
★いろは丸展示館(200円)
雁木の前にある展示館で、いろは丸事件を取材。
沈没状況や枡屋清右衛門んちの隠れ部屋が再現されてた。
  
 
 
★岡本家長屋門
福山城内にあった長屋門だとか。

 
鞆城(鞆歴史民族資料館、150円)
織田信長に京を追放された足利義昭を、毛利輝元が迎えてあげた。
  
三の丸だった地蔵院の下に石垣跡。

資料館が本の丸。
東南隅とそれに連なる石垣の基底部が発掘調査で確認され、復元されている。
 
ゲートボール場&墓地が二の丸。

 
★林家住宅
どこからどこまで何棟あるのか不明な大きさの林家住宅。

 
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