明石城(兵庫・明石市)

1617年(元和3)、家康は幼少の池田光政鳥取藩へ替え、本多忠政を姫路藩に配置。
忠政の娘婿・小笠原忠真明石藩に。
一国一城令で船上城が破却されて寂しかった地に、明石城と城下町を整備した。
 
織田家長屋門
宮本武蔵が城下町の都市計画を担当。
お城の中掘と外堀の間に武家屋敷を配置。
船上城から移築した織田家長屋門が残っている。
 
外堀の外に町屋を配して武士と町人を住み分けさせたのは画期的な工夫で、経済成長を想定した町造り。
平和な世になることを想定して、西国街道を町の中心に通し、商売をしやすくした。
.  
明石城明石公園、P500円/4時間〜)
太鼓門枡形を入ってすぐの左側には、とき打ち太鼓が設置されてて。
1時間おきに簾が上がって、武士の格好をしたロボットが太鼓を叩いて時を知らせたり、調子に乗って扇子を開いて舞ったりする。
 
向かいにあるサービスセンターでスタンプGET。
f:id:rina-chan:20181014113526j:plain
失火で本丸御殿が焼失以後、藩主居館とした下屋敷は野球場に変身。
 
本丸西側の坤櫓を目指して石段を登ると稲荷曲輪に。
 
その西にある陸上競技場に、おもてなし用途の樹木屋敷があったらしい。
庭や茶室を三の丸跡に再現。
池の真ん中が亀になってる。
武蔵作庭といえば、二刀流の滝と亀がキーワードなんだとか。
  
隣りの広場にバラ園もあるけど、今はシーズンオフ。

 
天守閣はお姉ちゃんの嫁ぎ先(阿波&淡路・蜂須賀至鎮)から貰うつもりにしてたけど建たずじまい。
城の四隅に置かれた三重の櫓で代用。
  
徳川秀忠の命で豊臣残党の備えとなる新城を、孫の小笠原忠政が築城することになったんで、坤櫓は徳川家からのプレゼントだとか。
  
巽櫓(船上城の遺構)は4・6・10月、坤櫓(伏見城の遺構)は3・5・9・11月に、無料 で公開。(雨天中止)
おっちゃんガイドさんが詳しく説明してくれるの、結構おもしろい。
 
石垣は三木城(三木も領内)や船上城のも使ってたり、リサイクル城。
 
剛の池から水を引いて、本丸から二の丸、東の丸にかけて桜堀を設け。
東の丸の東を、帯郭と薬研堀・箱堀で強化。
  
池の東側の北の丸跡には、図書館などがある。
 
嘉吉の乱の時に追討軍が布陣した人丸塚は、柿本人麿の墓と伝えられる小墳丘のことで。
明石城建設の際に破壊され、時の道に柿本神社が祀られている。
 
www.google.com