一庫城(兵庫・川西市)

一庫城・山下城(←P川西市郷土館) MAP
多田庄は清和源氏発祥の地で、地域の武士層が源満仲らを祀る多田院に奉仕する御家人として幕府に編成された。
鎌倉末期に筆頭にいたのが塩川氏で、戦国時代には摂津を代表する国人として成長を遂げる。
1541年(天文10)、塩川国満は細川高国に属して、細川晴元の攻撃を受けた。
晴元に鞍替えし、4年後に丹波国人の波多野秀親と一緒に、隣接する能勢氏を攻撃。
1549年(天文18)、三好長慶と対立した晴元を、多田塩香城に迎えている。
その後、江口の戦いで敗れるも、晴元派で活動。
1570年(元亀1)以降、織田信長方として働き、荒木村重が謀反を起こした際は、信長の本陣となる池田城を守った。

草が伸びてたから登らず。
 
https://blog.goo.ne.jp/rina-go/e/b691a41339685fd30c0699d513f947d4 細川家内乱4