富木常忍(鳥取県)

富木常忍生誕地(常忍寺、Pあり) MAP
父・蓮忍の代に、因幡国法美郡富城郷から下総国葛飾郡八幡荘に移住。
  
家康の側室・お万の方や、孫で鳥取藩主の正室となった芳心院の尽力で、1742年(寛保2)に創建された。

江戸時代後期の日蓮宗本堂建築の遺構として、国登録有形文化財に。
 
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×法華経寺
下総守護・千葉頼胤の有力家臣ちゅーから、宝治合戦(1247)で一族の多くが処分され。
その後に主君が元服した際に家臣団が再編成され、飛地管理から呼び戻されたのではないかと推測。
それが日蓮大聖人が立宗宣言して間もない頃で、早い段階で帰依した模様。
1260年(文応1)、松葉ヶ谷の草庵を襲われた大聖人がココへ避難したり。
檀家信徒の中心者として、大聖人から教えを説いたお手紙をみんなと読んで学んでほしいとたくさん貰っている。
大聖人滅後に自邸内の持仏堂を法華寺とし住職となり、だんだん独自の路線へ逸れていき中山門流となる。
奥の院が館跡で、土塁も残ってるらしい。