篠村八幡宮(京都府)

★上杉弾正屋敷(上杉天満宮、路駐) MAP
1252年(建長4)、後嵯峨天皇の子・宗尊親王鎌倉幕府6征夷大将軍に就任した際、供奉した公家の勧修寺重房が上杉荘(京都府綾部市上杉町周辺)を貰い、上杉姓に改名。
その後、武士になって足利泰氏に仕え、孫の清子は足利貞氏に嫁して尊氏&直義を産んだ。
ひ孫の憲顕は、初代関東管領
そのひ孫の朝定は尊氏に従い、1337年(建武4)、丹後守護に。
高師直と共に執事を務めてたけど、観応の擾乱で直義方につく。
1351年(正平6)7月、直義が政務引退を表明して京都を脱出した際、代理で尊氏と交渉に当たった。
  

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☆篠村八幡宮(Pあり) MAP
勝竜寺城から足利軍や明智軍が進軍した老ノ坂峠を越えて下道40分。
  
母・上杉清子の故郷で、鎌倉幕府軍として進軍してきた足利尊氏が、一転北条打倒の旗揚げの決起をしたトコ。
諸将へ集合のお手紙を出し、待ち合わせ場所の目印に、揚の木に足利の家紋&源氏の白旗を掲げたらしい。
源氏復興を願う願文や鏑矢を奉納し、京へ引き返す。
集まった2万3千の大軍が奉納した矢は矢塚の下に。
 
六波羅探題を破ったその頃、関東では新田義貞が尊氏の嫡子・義詮とともに鎌倉を撃破。
北条一族は全員自害して鎌倉幕府は終焉。
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★安国寺(Pあり) MAP
足利尊氏の母の実家・上杉氏の縄張り。
駐車場の横に尊氏&母&妻の分骨が収まった宝篋印塔が建っている。
  
実家の菩提寺で尊氏を出産したらしく、下までおりると産湯の井戸&生誕地碑がある。