亀ヶ城(兵庫・豊岡市)

亀ヶ城(Pあり)
1221年(承久3)、比叡山延暦寺の僧・太田昌明が源行家を討った功で太田荘の地頭になり築城。
承久の乱(1221)で鎌倉方に味方して但馬守護にランクアップ。
但馬国流罪となった雅成親王の監視も担当。
元弘の乱では但馬国に配流となった恒良親王を預かる。
翌1333年(元弘3)、後醍醐天皇隠岐から脱出し船上山で幕府軍を破ると、京攻めへ向かう千種忠顕軍に恒良親王を連れて参じ、二条大宮の戦いで6代目・守延は討死した。
  
482号線沿いの空き地に車をとめて、1本奥の道に入って右へ行くと地蔵尊がある。
その前が登山口。

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☆雅成親王墓(Pあり) MAP
後鳥羽天皇の第4皇子・雅成親王は、高屋の地に配流となった。
墓所の南前に30年過ごして亡くなった黒木御所があったらしい。
 
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★日出神社(Pあり) MAP
境内に御所を設けて恒良親王を幽閉。