夏梅太郎右衛門終焉之地(兵庫・多可町)

★夏梅太郎右衛門終焉之地(P可) MAP
徳川中期には悪政がしきりに行われ、生野代官の年貢取り立てが厳しかった。
庄屋の夏梅太郎右衛門がお代官様に再三お願いするも、1764年(明和1)6/25、ココで処刑されてしまう。
集まった村人達に「自分は微力で村人達の苦しみを取り除く事が出来なかった。しかし、これで惨酷な代官達も思い直すであろう。我が志をついでみんなで頑張ってくれ…」と言い残したとか。
以降、暴政は止み、村人達は安心して生活ができたとさ。