旧小國家住宅(兵庫・神崎郡)

旧小國家住宅(Pあり) MAP
  
 
明治4年、姫路・生野両県下で170余村が参加し、新政府に失望した1万人以上の民衆が蜂起。
福崎町でも大庄屋・三木家を焼き討ちした。
神西郡山崎村の庄屋・小國鐵十郎は、首謀者として翌年に処刑される。
大正10年、彼の功績を慕う人々により妙法寺銅像と石碑が置かれた。
銅像は戦時に供出されたけど、石碑は生家の庭に移されてる。
  
孫の積治は明治34年、生家に産婦人科を開業。
母屋が診療所として大正6年まで使われ、姫路に店舗移転。
  
娘婿の佐々木舜次がカムバックし、昭和25年に母屋の東に診療所を建築した。
  
 
母屋、診療所、長屋門、土塀は、国登録有形文化財

福崎駅から2つ目の踏切を渡り、長屋門が見えるまで直進。
来た道を覚えてないと、細い道にビビることになる。