天城陣屋(岡山・倉敷市)

天城陣屋(天城高校グラウンド)
天城池田氏は、池田恒興の長男の子・由之が初代。
1584年(天正12)、小牧長久手の戦いで恒興&元助が討死し、輝政が家督を継いだ。
1601年(慶長6)、叔父が初代姫路藩主となった際に佐用を与えられ、利神城を改修して城下町を構える。
1609年(慶長14)、加増され下津井城番に。
2代目・利隆に明石城を任され。
3代目・光政が鳥取移封になった時は、伯耆の管理を任され米子城に入った。
天城家2代目の子・由成は、1632年(寛永9)に光政が岡山移封の際、下津井城番に。
1639年(寛永16)、一国一城令で廃城になったんで陣屋を築き、幕府に配慮して御茶屋と称した。
娘が大石良昭に嫁ぎ大石内蔵助を産んだ。
由勝の時に元禄赤穂事件が起こってとばっちりをくい、ちょっと減封された。
  
天城池田氏の家臣団は幕末の「御家来分限御役付御礼席帳」によると、家老・池田政和を筆頭に268名。
天城詰め164名、岡山詰めは城下の伊木屋敷に居住した。
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★遍照院(Pあり)
天城池田家墓所
 
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★静光寺
陣屋門が移築現存してる。
 
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★正福寺
下津井城の門が移築現存してる。
陣屋でも使われてたんだろうね。