明禅寺城(岡山・岡山市)

明禅寺城(操山公園里山センター、Pあり)

1566年(永禄9)、主君を暗殺された三村勢は、宇喜多直家へ報復に出陣するも全滅。
リベンジに備え、石山城(岡山城)・金光宗高、舟山城・須々木行連、中島城・中島大炊介などを味方につける。
川を塞がれた直家は迂闊に兵を動かせず、明禅寺山に築城して前線基地とした。
     ↓
1567年(永禄10)春、三村元親はおりからの烈風と豪雨を利用して夜襲をかけ、城下の沢田村へ火を放った。
城兵たちは為す術なく沼城へ逃げ帰り、三村方が入る。
     ↓
直家は本陣を古都宿に置き、軍勢を南方向へ5段構えに布陣し、最南端の5番隊に明禅寺城への攻撃を命じた。
2万の三村軍が迫ってるのを知り、直家自ら切り込んであっちゅう間に落とし、本陣を移す。
三村方先陣の猿掛城・荘元祐は、敗走兵を追撃してくる宇喜多勢とバッタリ。
火縄銃で一斉射撃を加えながらの突撃に討死。
これを知った中軍の幸山城・石川久孝は作戦会議で家臣と意見が分かれたトコを襲われ、重臣・中島加賀はじめ多くの将兵を討ち取られた。
総大将の元親は四御神村で石川勢の敗走を知り、明禅寺山へGO。
高屋村へ陣を移して最前線に明石飛騨&岡剛介を配してた宇喜多軍を崩し、直家へ迫ろうとしたけど、左右からも攻めかかられボコボコにされた。
宇喜多勝利の報をうけた西備前の領主たちは、先を争って沼城へ出向き直家に帰属を申し出た。

MAPを見ると遠回りみたいだけど、里山センターから明禅寺跡地に作られた城へと山に入る。
  
10分ちょい登ると分岐「ふれあいの辻」に。
城跡方面への看板がないやんと悩むも、右に進もうとしたら隣りに道が。
  
5分ほど進むと、また分岐が。
迷路みたいなトコをよく落としたなと思ったけど、要所要所に見張りとかいたよね。
 
更に10分ほどの道のりは、大きな石が配されてて、もうすぐ感が。
  
帰りは20分ほど。
足元もよく、わりと楽に攻められた。