轟城(兵庫・豊岡市)

轟城(秋葉神社←P蓮華寺
山名四天王筆頭・垣屋氏が分家して築城。
主郭は秋葉神社が祀られてる。
竹野生コンクリートさんを通りすぎて、山の南裾に木橋がある。
 
天正3年、垣屋豊続は織田方の田結庄是義が留守の隙に鶴城を攻め。
急いで戻ってきたのを野田合戦で破り、毛利方としてブイブイいわした。
天正8年には、水生城に毛利派を集合させ、抵抗したものの敗れ。
それでも余部城→田井城と敗走しては戦ったけど、ついに降伏。
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轟美久仁城(P派出所)
山頂の主郭は室町・戦国期の改修跡があるけど、尾根筋の曲輪は南北朝期のままで幅1m余りの狭く細長い帯郭が7段残っている。
北麓の平地部に居館があり、接して市場があったらしい。