豊地城(兵庫・姫路市&小野市)

★栗山構居(灘菊酒造、Pあり) MAP
有岡城に幽閉された黒田官兵衛を救出した筆頭家老・栗山善助の生誕地で、産湯井戸もあるっていうけど。
生まれる前に領地替えで三木豊地城に引っ越し、身ひとつで姫路にやって来て黒田家に仕えたという自身の覚書があるらしい。

観光バスの運転手さんの休憩所として用意されてるロンドンバスに、黒田二十四騎の肖像画が展示されてる。
売店でお酒の試飲がいろいろできたり、酒蔵見学もOK。
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豊地城(観音堂←P中谷地区集落農事集会所) 
曽根サイフォン方向へ歩く。
交差点の先、1つ目の路地を右に入るとある。
  
振り返ると大土塁が残ってる。

集会所あたりも城域で、八幡社が東端だとか。

1336年(建武3)、南朝方の金谷経氏が拠点にしてたんで、北朝方に焼き払われた。
応仁年間に赤松家臣・依藤氏の居城となる。
1530年(享禄3)、柳本賢治の援軍を得た別所村治に攻め入られたけど、浦上村宗が柳本氏を暗殺。
1559年(永禄2)、別所氏に滅ぼされ、栗山氏が領地替えで姫路から引っ越してきて配下となった。
息子は単身、黒田官兵衛の家臣に。
三木合戦後、秀吉の命で取り壊されたけど所領は栗山氏が引き継いだ。
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★誉田の館いろどり MAP
豊地城をイメージした外観。

2Fは展望資料館。
小田城方面。
 
天ぷらうどん(650円)をいただいた。
味が薄い。

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小田城 
道をつけるのに山をパッカーンしたトコに、碑が埋もれてた。
嘉吉の乱(1441年)の際、城山城で自刃した赤松満祐のあとを追って、依藤豊房は揖保郡千本村で自刃した。
丘陵先端部に主郭を配し、その南側や段丘下にまで城域が広がっていた。
主郭には土塁がめぐり、大手口、通路、虎口なども発掘確認されている。