古代山陽道・播磨(兵庫県)

摂津
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×明石駅家
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☆邑美駅家(←Pコンビニ) MAP
田んぼの下に埋まっている長坂寺遺跡がそうみたい。
続日本紀聖武天皇行幸するのに印南野邑美頓宮を設置したってある。
延喜式には載っていないんで途中で廃止になったと思われる。
  
角柱は駅家の南西端の位置にあたる民家の庭先にある。
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賀古駅家、古大内城(大歳神社←P野口交番)
全国最大規模の駅家だったらしい。
奈良時代後期~平安時代中期にかけては古大内廃寺があり。
平安時代後期には赤松氏の祖・源季房の居城だった説がありーの。
村上天皇の7男・具平親王の子孫が季房で、1111年(天永2)に播磨国へ流されて来たとか。
  
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★佐突駅家(播州倉庫、路駐)
続日本後紀に、839年(承和6)11/26、一時廃駅になった佐突駅家が再建されると記事がある。
日本三代実録に、868年(貞観10)7/8、播磨国地震の記述がある。
壊滅状態になり、その後は再建されなかった。

播州倉庫さんの、2号線沿いにある正門前に碑がある。
 
★六騎塚 MAP
1336年(建武3)、九州からカムバックしてくる足利尊氏を、中国で迎え討った新田義貞は大敗。
新田軍に合流しようと、児島高徳の父・和田範長は坂越・那波などで戦い、ついに主従6騎に。
もはやこれまでと、阿弥陀宿の辻堂に入って自害した。

くねくねした街道にある菅野病院さんの東寄りにある。
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×播磨国府 
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草上駅家
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★大市の駅家(向山集会所、Pあり) MAP
遺構も若干あるみたいだけど、見張りのおじさんの視線が。
いまどき用心に越したことはないのか。

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☆布勢駅家(東村公民館、路駐) MAP
全国で初めて発見された古代駅家跡。
公民館から北方向に、礎石&瓦葦建物跡が7棟分見つかった。
賓客を迎える正殿、宿泊・食堂・倉庫といった脇殿跡の下から、建て替え前の掘立柱建物群跡も発掘されてる。
正方形の敷地を取り囲むように築地塀の基礎、南に正門遺構があり、丹塗りの建物に白壁、黒瓦に部分的に白い瓦が使われてたのも出てきたみたいだけど、姿は見えず。
 
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×高田駅
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★野磨駅家(路駐) MAP
最初はちょい南の八反坪遺跡にあったけど、落地飯坂遺跡にゴージャスヴァージョンで建替えられた。
律令制度崩壊で維持管理が困難になり荒れ放題に。
人を食うヲロチが棲んでるという話が生まれたりした。
 
古代山陽道だった5号線を北上してくと右手に看板がある。

建物の大きさがわかるようになってた。
 
全国に400ヶ所以上あったけど、ココと布勢の駅家だけ遺跡が残っている。

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備前美作