細川館(兵庫・三木市)

細川館(Pあり)
藤原道長の子孫・俊成が千載集を著した功で領地を貰う。
子の定家は新古今集を著す。
遺産相続で二条家・京極家・冷泉家に分裂した際、長男と異母弟の間でこの地をめぐって争いになり、鎌倉幕府に訴えるため阿仏尼が旅した記録が十六夜日記。
応仁の乱で京が荒廃すると、冷泉政為は細川荘に館を築いて移り住んだ。

1578年(天正6)、三木合戦を前に為純は三木城・別所長治の誘いを蹴ったため攻められ討死。
長子・為勝は救援に駆けつけた小沢城主と逃げる途中で自刃。
3男・惺窩は7歳くらいから龍野の景雲寺で修行してたんで難を逃れた。
家督は弟に任せ、相国寺に入って学問の道へ進んだ。
江戸時代の儒学の祖といわれ、家康に進講し徳川300年の歴史に大きな影響を与えたとか。