三開山城(兵庫・豊岡市)

三開山城(瑞峰寺、Pあり)

1336年(建武3)、北但馬の国衆は進美寺山城で南党として蜂起。
今川頼貞に落城させられるも、引き上げると越前にいる新田義貞から三男・義宗を派遣してもらって三開山城に迎え、テンションあげあげで進美寺山城を奪回。
1343年(康永2)、反乱した丹波守護代・萩野朝忠を屈服させた山名時氏は、続いて但馬に攻め入って次々とボコり、三開山城も攻略。
居城にして勝手に但馬守護を称した。
 
みひらきの森として整備され、4ヶ所から攻め入れる。
瑞峰寺から登山道を行くと、途中に千畳敷と呼ばれる居館跡、湧き水の井戸跡、奥に瑞宝寺跡があるエリアへ向かう分岐点があり。
曲がらず進むと主郭のあった山頂へ。
片道50分かかるみたい。
 

 
上鉢山城(八幡神社) MAP
1356年(正平11)から始まった但馬の山名時氏派掃討作戦で、朝来・養父郡を北党勢力に一色に固めた足利尊氏は、1358年(正平13)、南党勢が中核拠点とする三開山城攻略へ。
鉢伏山城を築き陣城とした。
小山の麓は家がびっしりで道も狭く、駐車ポイントの公民館を発見できず。
縄張り図では北側に細長い帯曲輪が階段状にびっしり設けられている。
 
ガラ山には中陣があった。
頂上部は削平され、小曲輪跡が数段残っている。
 
下鉢山城(熊野神社、路駐) 
南党勢は三開山の南麓から半島状に突き出た下鉢伏山に城郭を築いて備えた。
南側斜面から平地部まで小曲輪が密に構築されている。
コッチも麓は家がびっしりで道も狭い。
路地の間に参拝道が見えたんで、先の碑があるトコに路駐して偵察。

 
間にある水田域が洪水で水原となったトコへ、南党勢は舟で攻めてきた。
それ以外は田んぼを踏み荒らさないよう篭城してたみたい。
11月末、軍配は北党勢にあがり7ヶ月半に及んだ戦いは終わった。