中野城(兵庫・加西市)

禁闕の変
1443年(嘉吉3)9月、南朝の遺臣らが後花園天皇の内裏から三種の神器をキャッツアイ。
幕府の攻撃で首謀者・日野有光らは討たれ、神剣は清水寺で発見される。
神璽は後鳥羽天皇の後胤と称する尊秀王吉野山中に奪い去った。
 
長禄の変…
幕府は赤松氏旧臣らに、以下ができたらお家再興を許可しますと。
1、後南朝の末裔である一の宮&二の宮を討伐すること。
2、奪われた神璽を奪還すること。
 

 
★中野城 
1456年(康正2)、金鑵城・中村助直の家臣・小谷与次は僧に化け、「自分は善防山城主の赤松則繁の子。南朝方の手を借りて幕府を討ちたい」なんつって潜入に成功。
1457年(長禄1)12月の大雪が降る夜、彼の手引きで赤松一党は吉野御所を襲う。
一宮の首を取り、内裏に押し入って神璽を奪うも、吉野の郷民に殺され。
二宮の首を持ち帰ったのみで大失敗。
  
お寺横の駐車場から道路を渡って進み、フェンス沿いに回りこんで行くと、繁みの中の平地に小さな祠がある。
 
★清慶寺(P商店) MAP 
坂越の港経由で中野城に戻り、向かいにある清慶寺で御首を葬ったのが南帝塚といわれている。
 
 
この時の功績で、浦上則宗が赤松家臣団トップに。
幼少の赤松政則に代わって、幕府で手腕をふるう。