大覚寺城(兵庫・尼崎市)1~4

図書館の駐車場から、開明橋を渡って歩く。
欄干に尼崎城の縄張りがデザインされている。
 
  
大覚寺城大覚寺
1359年(延文4)12月、亡き父が開設した幕府を盤石にするため、足利2義詮は尼崎に進軍し南朝軍に対する。
なかなか決着がつかず半年在陣。
翌年5月、細川清氏は総攻撃をかけ河内竜泉寺で楠木軍を破り、赤坂城を抜いた。
1617年(元和3)に尼崎城が築かれることになって寺町へ移動になった。
  
尊氏の親戚かなんかで私本太平記に出てきた琵琶法師・覚一?
 
★法園寺
隣りの法園寺には、肥後国人一揆の責任を取らされ自刃させられた佐々成政のお墓がある。
山門を入って左にあるのはレプリカで、ホンモノは本堂に隠してあるとか。
秀吉を怨んで大阪城に向かって内臓を投げつけたとか看板に書いてあったけど、怨念は漂ってなかった。
 
 
善通寺
ココからココまで俺様の土地って誇示するように煉瓦塀。
後醍醐天皇の皇子・尊良親王が土佐に配流になった時にお供をした秦武文が、妃を土佐に迎える途中、尼崎で海賊に襲われ自決したんだとか。
碑があるって看板に書いてあるけど、どれかわからず。
  
 
★広徳寺
中国大返ししてきた秀吉軍は、尼崎では栖賢寺&広徳寺の2軒を借りて本営に。
見せてもらえないだろうけど秀吉が納めていったという刀がある。
当時は1駅東あたりにあったみたい。
 
  
開明北公園
開明小学校があった所。
西側に残されてる校庭の塀には、太平洋戦争中に米軍機の機銃掃射にやられたと思われる無数の弾痕が残っている。
10回も空襲があったんだとか。